秋    田    大    橋

   秋田 の 近代               秋田大橋 の 架け替え

 雄物川改修工事 / 雄物川放水路事業   下流部 を バイパス して 直接 日本海 へ 川 を 流す
  暴れ川 秋田市 は 長い間 水害 に 悩まされ 市 の 3 割 以上 が 浸水 し 人口 の 増える 明治以降
   の 近代 に おいて 被害 が 著しく 県勢 の 停滞 を 余儀 なく されて いたが 国 の 直轄事業 として
   1917 / 大正 6年 から 10年 計画 で 新放水路 の 開削 を 開始 したが - 1914 / 大正 3年 〜
   1918 / 大正 7年 の 第一次世界大戦 や 1923 / 大正 12年 の 関東大震災 そして
   1929 / 昭和 4年 から の 世界恐慌 等々の 影響 で 22年 かかり 1938 / 昭和 13年 4月 放水
    最後 の 通水爆破 には 見物客 が 殺到
   1938 / 昭和13年 秋田運河 開削開始 〜 1954 / 昭和 29年 開通
    新放水路 まで の 上流部 と 従来 の 雄物川本流 である 運河 を 拡幅 と 直線化 で 修正 し 補強
 
 労働力 の 創出 大工事 で 経済 が 潤い 湿地 の 埋め立て で 拡がる 用地 には 工業地帯 を 誘致
   常時 1 万人 以上 の 労働従事者 は 当時 の 秋田市 の 2 割 にも 匹敵 し 延べ 260 万 に 達し
    総工費 1170万 / 現 550億円 で - 内訳 建設工事費 858 万 + 人件費 312 万 が 投じられ
     膨大 な 掘削残土 で 雄物川 に かかる 現 秋田大橋 周辺 の 7号線 付近 を 埋め立て

 秋田大橋 6 連 トラス構造 - 578 m
  1932 / 昭和 7年 着工 〜 1934 / 昭和 9年 完成
   1994 / 平成 6年 新秋田大橋 建設着工 〜 2001 / 平成 13年 完成
    2004 / 平成 16年 旧 秋田大橋 解体

   秋田 の 生活 に 深く関わり 秋田 と 共に 歩んできた その橋 が 役目 を 新秋田大橋 へ 譲りました

    

    

    

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