後  三  年  の  跡
      
平 安 の 風 わ た る 公 園
  古代 から 中世 へ ・・・ 平安時代 から 鎌倉時代 へ ・・・ 奥州 の 礎
             
出羽 の 豪族 清原一族 と 陸奥 の 豪族 阿部一族 の 勢力下
 永承6年 (1051) 多賀国府 に 居た 将軍 源頼義 (よりよし) が 清原氏 を 決起し 阿部氏 を 滅ぼし
 清原氏 は 阿部氏 の 領土 を 併せて 奥羽 に 強大 な 勢力圏 を 構築し 功績 を 称えられ 1063年
 清原武則 (たけのり) が 官位授与 により 『 鎮守府将軍 』 に 任命され その後 子から子へ
 武貞 (たけさだ) 家衡 (いえひら) と 継承されるが 一族内 で 将軍職 を めぐり 内紛 が 起こり
 永保3年(1083) 後三年 の 役 が 発生 ・・・ 将軍 源頼義 の 長男 で 陸奥守 の 源義家 (よしいえ) と
 前九年 の 役 で 安部貞任 とともに 打ち首 となった 藤原経清 (つねきよ) の 子 で 清原家 に
 預けられていた 藤原清衡 (きよひら) が 共 に 決起し 最終的に 藤原清衡 は 異母兄弟 の 清原家衡
 をも 滅ぼし 寛治元年(1087) に 戦いは 終わり 安部 ・ 清原 の 領土 を 手に入れた 藤原清衡 は
 平泉 に 移り 奥州藤原4代 (清衡/きよひら・基衡/・秀衡/ひでひら・泰衡/やすひら) の 栄華 の 礎
 となり 文治5年夏(1189) 奥州合戦 で 源頼朝 と 鎌倉幕府 の 軍勢 に 滅ぼされました

 
  
 
   
 
    
 
  
 
  
 
  

 大湯 ストン・サ-クル へ  風 土 へ 戻る  TOP 環境科学館 へ 戻る