探 査 宇 宙 開 発 2 挑 戦
シャトル計画 1981年 アメリカ 6機 製造 スペ−ス・シャトル
それまでの カプセル型 の 使い捨て とは違い 翼 を 持ち 飛行機 のように
滑空して
着陸 = 帰還 出来 使い回し 出来る 打ち上げコスト の 安い 経済性
の 高い 宇宙船
機体 は オ−ビ−タ− と 呼ばれる 宇宙船 37m と 固体ロケットブ−スタ−
47m のみ
機体形状 に 合わせて 形 の 異なる 31000枚 の耐熱タイル を 手貼り
高度 23000m / 時速1600km からの 滑空 の安全 を 担う 高度 な 技術力
1号 エンタ−プライズ 大気圏内 での 着陸訓練 等 に 使用 プロトタイプ
2 号 コロンビア 1981年 4月2日 〜 2003年 2月1日 初飛行 と 二度目の事故
大気圏再突入時 の 着陸 16分前 に 発射時 の 耐熱タイル損傷
により 空中分解
3 号 チャレンジャ− 1983年 4月4日 〜 1986年 1月28日 最初 の 事故
発射 73秒 後 に 固体ロケットブ−スタ−破裂 で 観衆 の 面前 で 空中爆発
安定した 飛行 の 成果 として 将来 の 民間人 の 宇宙旅行 の
夢 として
女性教師 や 民間人 を 搭乗させて 出発 日系アメリカ人初 オニズカ氏
も 同乗
4号 ディスカバリ− 1984年 8月30日 〜 2006年 現在飛行中
5号 アトランティス 1985年 10月3日 〜 2006年 現在飛行中
6号 エンデバ− 1992年 5月7日 〜 2006年 現在飛行中
2003年 コロンビア号 の 事故 から 2005年 7月27日 の 飛行再開 まで 飛行中止
全機 2010年 退役 予定 ・・・ 以後 の 計画 は 未定
日本人宇宙飛行士
毛利 衛 1992年 9月 エンデバ− 1999年 9月 エンデバ−
向井 千秋 1994年 7月 コロンビア 1998年 10月 ディスカバリ−
若田 光一 1996年 1月 エンデバ−
土井 隆雄 1997年 11月 コロンビア
野口 聡一 2005年 7月 ディスカバリ−
経済性 への 誤算 打ち上げコスト は 従来 の 30% 〜 50% との試算 は 年間 50回 の
飛行計画 からの 計算 であったのが 実際 は 年間 10回 も 飛べず 更には シャトル の
安全 の 決め手 = 耐熱タイル の 損傷 による 補修費の増加 ( 最初
の コロンビア では
一回 の 飛行 で 3パーセント交換 ) と 更に 精密 で 高度 な 手仕事 や 技術 も 多く
保守点検 に 膨大 な 時間 と 経費 が 重み 従来 の コスト以上 にまで
増大 し
安全 も 守れず 計画 は 失敗し 宇宙開発 の 次の段階 は 不透明 となりました
近年 では 宇宙船 の 将来像 として シャトル型 が 有力候補 となり ソビエ
ト を 始め 各国 で
開発 を 検討 していましたが 貧窮する 時代背景 の 元 経済的状況 で
全て 断念 されました
ブラン ソビエト 1988年 飛行 したが ソ連崩壊 や 経済的要因 で 中止
ヘルメス ヨ−ロッパ 中 止
ヤマト 日 本 NASDA の ジェット・エンジン付 小型有人スペ−ス・シャトル 計画
HOPE 〃 無人ながら H2 ロケット での 再利用 打ち上げ 宇宙船 H2 の
事故 が 相次ぎ H2 の 技術開発 に 全精力 を 注ぎ込むべく 中止 となりました
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