秋 田 市 発 展 の 礎

                            5 総 体         秋田 へ ようこそ


  敗戦 の 痛手 が 癒え 平穏 な 日常 が 行き来 する 安らか で のどかな 時代 から
   多く の 人々 の 交通機関 が 汽車 / 電車 や バス だった 頃 高度経済成長期 の 足音 が 響き 始め
    昭和 30 年代 から 40 年代 への 20 年 敗戦 を 経て 若く 安価 な 労働力 に 支えられ 飛躍的 に
    成長 する 日本経済 は 地方 へも 波及 し 同時 に 政府 の 所得倍増計画 にも 後押 し され
     観光 や 購買意欲 が 爆発的 に 目覚め 日本全土 に 賑わい が 拡がって いった
 
    秋田市発展 の 礎  河川改修  鉄道網 の 整備 と 廃止路線  道路網 の 整備  都市化  地図
 
   そんな 時代 - 秋田駅前 や 程近い 市街地 ・ 要所 は 人 で 溢れ 賑わった もの だった ・・・
    昭和 40 年代 至る 所 で 幹線道路 や 橋 の 整備 が 始まり その 流れ は 昭和 50 年代 半ば から
     人口増加 と 所得増 に より 店舗 や 住宅取得 の 増加 で 地価 が 高騰 し 加えて 車社会 が 到来
     中心市街地 は 自家用車 の 普及 で 駐車場 難 と なり 市街地 の 地価高騰 も 加えて 人々 は
      既存 の 市街地 より 低価格 な 郊外 への 進出 が 急増 し 道路 は 将来 の 設計 が 甘く とも
      直ぐ に 造れる と 言う 利点 ? を 生かし 網の目 に 拡がり 無秩序 な 道路網 が 完成 する と
      道路網 に 依存 する 傾向 に 拍車 が 掛かり どんどん 郊外 に 街 が 出来 上がり 埋蔵文化財
      の 緊急発掘調査 が 繰り返され 遺跡 も 直ぐ に 埋め 戻され コンクリート に 覆われて いった
     そんな 折 民間主導 の 開発 が 一段落 し 景気後退 が 見え 始める 頃 - 遅れて 秋田県 が
      将来的 に 需要 が 無く なる 郊外 の 市街地化 を 強引 に 推し進め 自然 の 乱開発 に 公費 の
      無駄使い も 横行 し 採算度外視 の 公務 と 乱雑 な 計画 に 基ずく 公共事業 は 後 に 秋田 の
      経済 を 締め付け 発展 の 足枷 と なり 現在 の 低迷 へ 繋がり この 時 県勢 の 終焉 を 告げた
     しかしながら 1988 / 昭和63年 に 1億円 が 各自治体 に 交付 された 『 ふるさと創生事業 』 でも
      県南部 では 後 に 赤字 で 閉鎖 される 村営 の 遊興場 ? を 作り 他 でも 温泉 を 掘る 等 の
      悠長 な 時代 で 国民 全て が 浮かれていた 素晴らしい ? 時代 だった のか も 知れない
     だが やはり やってくる - 県 と 市 の 経済低迷 は 住民 の 福利厚生 を も 阻害 する
      鉄道 は 航空機 と 競い 楽 な 長距離移動 に 特化 し 各駅停車 の 間引き運転 を 始める 頃
       市内 の バス運行 を 賄って いた 秋田市交通局 は 赤字 と なり 秋田中央交通 に 路線 を 譲り
       解体 される と 知らぬ 間 に 不採算路線 が 廃止 され 弱者 の 切捨て と なって いき
       駅前 は 賑わい が 減り 嘗て 賑わった 旧街区 は 閑散 とし 新た な 賑わい が 郊外 に 点在
        し 始め 生活圏 の 計画的 な 拡大 は 活性化 に 繋がる が 現状 は どうだろうか
 
     バブル景気 昭和 が 終焉 を 告げ 始める 頃 から 平成 への 道程 で 好景気 が 狂乱 し 乱舞
     失われた20年 バブル崩壊 と 平成不況 へと 突入 する と 郊外店 は 競争 を 激化 し
      駅前街 は 崩壊 して 市街地 空洞化 へ

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