地 震 デ − タ 2
平成 1 1989 / 平成 元年 〜 2000 / 平成 12年
近世 〜 昭和 ・ 平成 2 2001 / 平成 13年 〜 2010 / 平成 22年
平成 3 東日本大震災 2011 / 平成 23年 ・ 平成 4 熊本地震 2016 / 平成 28年 〜
1997 / 平成 9年 以前 の 地震 での 震度 6 には 現在 の 震度 7 が どれだけ
含まれ 細分化 されて いなかった その他 の 階級 も どうだった の でしょうか ?
西 暦 |
平 成 |
月 | 日 | 名 称 | 地 点 | 規 模 マグニチュ−ド ・ 震度 |
死 者 |
家屋 全壊 |
焼失 流失 |
2000 | H12 | 10 | 10 | 鳥 取 地 震 | 鳥取県 | M 7 . 3 震度 6 強 |
1997 | H9 | 5 | 13 | 鹿児島県 北西部地震 | 鹿児島県 薩摩地方 | M 6 . 4 震度 6 弱 |
1995 | H7 | 1 | 17 | 阪 神 淡 路 大 震 災 | 淡路島 北部 | M 7 . 3 震度 7 | 6434 | 10 万 | 6434 |
5:46分52秒 火曜日 深度 16 K m 関東大震災 並 の 強烈 な 都市直下型地震 32 万人 避難 日本最大規模 の 被害 揺れ も 東 は 福島 ・ 西 は 鹿児島 まで 広範囲 に 及んだ 淡路島 - 神戸 間 の 明石海峡 が 震源 だが 断層破壊 は 淡路島 と 神戸 の 陸上 にも 及んだ 野島断層 で 2000年 に 一度 の 巨大地震 40 Km の 断層 が 2m ずれる 中央構造線 の 北 に ある 新た に 確認 されていた 新潟 - 神戸構造帯 の 一部 か ? この 構造帯 は 構造線 では 無い が 歪 が 蓄積 している エリア で 未知 な 部分 が 多い 中央構造線 から 派生 した 断層系 の 疑い も 有る ? ※ 何時 も 後 に 解る 事 だが 前日 から 前震 が 確認 されていた - 予知 へは ? 1947年 気象庁震度階級 に 震度 7 が 加わって 初めて 記録 された 震度 7 1996 年 9 月 まで 続いた 体感 に よる 気象庁震度階級 初 で 最後 の 震度 7 地震計 の 運用開始 前 だった 為 以前 通り 地震計 では 無く 体感 と 倒壊家屋 3 割超 の 複合条件 で 認定 され 時間 を 要する 為 最初 の 発表 は 最大震度 6 だが 既 に 稼動 して いた 民間 の 地震計 には 震度 7 が 明確 に 記録 されていた 行政機関 も 国 / 政府 も 何でも やるの が 遅い 罹災者 の 罹災後 の 諸種 の 悪化 が 問題 と なり 仮説住宅 や 罹災認定 が 初導入 津波 の 予想 ナシ 後 の 調査 で 70cm 程 の 津波 を 確認 - 70 cm の 津波 と 言っても 東日本大震災 の 津波 を 見れば 予想外れ が どう言う 意味か は 解るはず ・・・ 激甚災害指定 損害額 10 兆円 以上 - 全半壊 25 万棟 全ゆる 建物 の 倒壊 に 一帯 の 火災 淡路島 及び 兵庫県 神戸市 内 各地 で 広域 に 震度 7 を 記録 する 揺れ 震度 6 まで は 地震計 で 記録 されて おり 兵庫県 神戸市 内 でも 正式 に 記録 された ビル の 倒壊 に 加え 高速道路 の 落下 / 横倒し に 驚愕 し - 280 個所 同時火災 による 消火困難 で 街 は 火の海 と 化 し 多く の 町工場 が 消失 - 断水 130万 世帯 ・ 停電 260万 世帯 死者 6434人 だが 兵庫県 で 6402人 ・ 1000人 近い 焼死者 や 災害関連死 災害関連死 : エコノミー症候群 や 持病 の 悪化 ・ 不安 に よる 心臓系障害 等々 と 多岐 に 重症者 10000人 ・ 軽症者 30000人 に 治療関係 も 右往左往 この 災害状況 と 対応 は 後 の 災害 への 教訓 と された 全て の 人々 に 対して 色々 な 課題 を 投げかけ ここから 対策 や 体制 が 大分 変わって いきます ※ 気象庁 が 地震直後 に 命名 した 正式名 は 兵庫県南部地震 だが 世間 では 阪神大震災 等 と 呼ばれ 政府 は 2月 関東地震 に 対する 関東大震災 に ならい 阪神淡路大震災 と 2例目 となる 震災名 を 命名 |
1994 | H6 | 10 | 4 | 北 海 道 東 方 沖 地 震 | 根室半島沖 200 km | M 8 . 1 震度 6 | 61 |
午後10時22分 深度 28 km 根室市 花咲港 で 津波 173 cm 北方領土 / ロシア の 択捉島 で 死者 9人 |
1993 | H5 | 1 | 15 | 釧 路 沖 地 震 | 釧路市 南方沖 | M 7 . 5 震度 6 | 2 | 53 |
午後8時6分 深度 101 km 釧路沖 の スラブ内地震 / プレート内部 に 震源 ライフライン の 復旧 に 半年 |
7 | 12 | 北 海 道 南 西 沖 地 震 | 奥尻島 北方沖 | M 7 . 8 震度 6 | 201 | 601 |
午後10時17分 深度 35 km 島全体 が 津波 に 飲み込まれた 津波警報 は 5分後 TV速報 は 7分後 と 1983年 の 日本海中部地震 の 三分の一 に 短縮 された ものの 奥尻島 には地震発生後 5 分 で 30.6 m の 大津波 が 到来 し 市街地 でも 10 m に 達し 津波警報 は 此処 でも 間に合わず - 島民 の 避難 も 車 を 使い 渋滞 で 遅れ - 罹災者 多数 3度目 の 大津波警報 行方不明 29人 温泉水 の 高騰 60 ℃ ⇒ 90 ℃ ( 10日前 ) |